タイトルの「意思決定、リスク、ギャンブル」について、非常に明快で有用な
記事があったので、紹介します。
「例えば、ワールドカップの一次リーグでの日本-ポーランド戦において、
日本代表チームが1点負けている状況で日本が攻めなかったことを批判する
人もいる。しかし、あの戦法のほうが一定の条件の下で日本の一次リーグ
突破確率が高いので、極めて合理的であった。それを「ギャンブル」という
表現で揶揄する者もいたが、どのような意思決定でも、不確実な条件で
確率計算に基づくものという意味では、すべて「ギャンブル」なのである。
もっとも、「ギャンブル」とは、冷静に確率計算をすると、プレイヤーの
平均的な収益(期待値)は「負け」にあり、胴元だけが平均的に「勝てる」
ゲームのことを指す。その意味では、日本代表の行動は「ギャンブル」では
なく、冷静かつ合理的な判断であったといえよう。」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56569
要するに、未来への行動を選択する意思決定は、いずれも、ギャンブル
(賭け)という面を持つといえるが、ギャンブル(賭博)とは、胴元だけが
勝つことを保証され、どのプレーヤの期待値も「負け」になるものを云う
ので、ワールドカップの予選リーグ最終戦の西野監督の決断は、その
ような場でのプレー(意思決定)ではない以上、本来の意味でのギャンブル
ではなく、「冷静かつ合理的な判断」と云える、ということか。
「他人任せ」というリスクを選択することが、果たしてプレーを見ている
観衆にとってどうか、という問題はあっただが、勝ちに行く為に攻め込んで
カウンターを受けて失点するリスクもあるので、予選リーグを勝ち上がると
いう戦略の中で、現状のチームのプレー状況から判断して最も勝ち上がる
確率の高い戦術を選択したといえるので、やはり素浪人は西野氏の決断を
支持する。
とはいえ、話をギャンブルに移して、JRAという胴元の取り分は、一般の
賭博の相場よりはるかに大きく、この胴元を相手に勝つというのは、ほぼ
期待値0のことに手を染めていることになるようだ。
しかし、データ解析、予想、レース、馬、騎手、調教師のストーリー、
競馬場という場、などのさまざまの「楽しさ」への経費としてとらえれば、
「負け」の額を通常の遊びの経費以下に抑えることが、競馬を長く楽しむための
第1の要諦と云えるかな。
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