薩摩揚、じゃんぼ餅、壺漬けなど、天文館、山下小、照国神社界隈、空襲で
燃える前の昭和14、5年頃のエッセイ。昭和54年に、山下小の同窓会で38年ぶ
りに訪れた時などを含めば鹿児島に関する2エッセイは20編にものぼる。
「父の詫び状」に6編「眠る盃」3編「無名仮名人名簿」3編「霊長類ヒト科動物図鑑」
2編「夜中の薔薇」4編「女の人差し指」2編「男どき女どき」の1編。磯浜、天保山の
海水浴場、吹上浜に行った描写には今はない南薩線が表れる。変わり果てた鹿
児島、サンロイヤルホテルからの夕暮れの桜島の眺め、「結局変わらないもの
は、人。そして生きて火を吐く桜島であった」と故郷もどきを懐かしんでいる。 |