未曾有の戦禍を越えた祖父母・親達の世代、朝の明ける前から夜の遅くまで体を絶えず動かしていた。戦災後の1948年、豊かでなかった谷間野時代、私たちのはベビーブームの世代だ。山の里近くも、海辺沿いも、たんぼの風物詩は一緒なのか。川遊びも同じ眼差し。子供の頃の感性はしなやか、眺めていた記憶はかなり鮮明に残っている。荷馬車の轍で続く草の径、湧き水から小池、時計草・夏みかん・芭蕉、底なし沼の所。町からかなり離れた村、土間の家、竈、水瓶、囲炉裏、五右衛門風呂、木臼。電気も水道もなかった。水汲み、ランプのホヤ磨き、朝の草刈りが手伝いだった。
貧乏農家だったが、こんな田舎では自然は豊かなのだ。もぎたての野菜、さつま芋、里芋、新米、味噌、醤油はおふくろ自作である。野イチゴ、山桃、野葡萄、ん~べ、グミ、古参竹、ツワ、ヤマイモ、蛤、す潜りすれば海の幸が自前で揃えられる。
縁があって市内の高校に出られ、同じ学舎に集い、学び、卒業。すれ違った方が大半なのだが。それでも、個々の場と時を得て、それぞれに交差しながら、同じ時代をそれせぞれに歩んで来れている❗古希になる。そして来年5月には新しい年号を向かえる。昭和、平成、❔3つ時代を生きていくのだ。 |