先日、ケーブルテレビのTBSチャンネル2で、向田邦子作品をベースにした
ドラマ「戦友別盃の歌」を途中から見始め、引き込まれて最後まで見てしまい
ました。
昨今の観念的でパターンをなぞった反戦映画と相違して、戦前の人々の心に
寄り添って辿った、私たちにもかすかに覚えがあるその残り香を感じられる
作品でした。
そのドラマでは、3人姉妹と寡婦の家族の戦死した父親であった軍医が愛した
詩として、大木惇夫の「戦友別盃の歌」が思い出され、愛唱されるシーンが出て
きます。
大木惇夫は、戦争協力詩人として戦後の詩壇から排斥されて忘れられた詩人
ですが、向田邦子も父か身近の人にこの詩を愛していた人がいたのかも知れ
ません。あるいは、昭和4年生まれで、開戦当時に12歳ですから、本人自身が
この詩を知っていて、愛唱していたのかも知れません。
亡くなった同期の髭庵こと萩原紳介君とこの詩について語ったことがあった
ように思いますが、その冒頭の2行が、別れの詩の一節として素晴らしく、
愛唱に耐え、胸を打つものがあります。
以下に全文をご紹介しますが、興味のない方は無視してください。
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戦友別盃の歌-南支那海の船上にて。
言ふなかれ、君よ、わかれを、
世の常を、また生き死にを、
海ばらのはるけき果てに
今や、はた何をか言はん、
熱き血を捧ぐる者の
大いなる胸を叩けよ
満月を盃にくだきて
暫し、ただ酔ひて勢(きほ)へよ、
わが征ゆくはバタビヤの街、
君はよくバンドンを突け、
この夕べ相離(さか)るとも
かがやかし南十字を
いつの夜(よ)か、また共に見ん、
言ふなかれ、君よ、わかれを、
見よ、空と水うつところ
黙々と雲は行き雲はゆけるを。
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大東亜共栄圏は、戦争指導者がとってつけたスローガンであったというのは
事実でしょうが、日本が南方で戦った相手は、アジアの国々を植民地支配して
いた英国、フランス、オランダ等の西欧諸国であったというのも事実です。
我々戦後に生を受け、教育を受けた日本人は、GHQの統治戦略により、
戦前の日本=悪を刷り込まされて、私のようなおっちょこちょいは、高校
時代から左翼思想にかぶれたものですが、大学入学直後に病気で休学して
いなければ、過激派の内ゲバで命を落としていたかも知れません。
しかし、その後、近現代史を左翼イデオロギーから離れて辿った結果、
日本の韓国統治などが、西欧列強の植民地経営と真逆の、その民の生活の
向上を図るものであったことなどを知るにつけ、昨今のメディアの論調など
に疑問を感じることが多い。
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