南洲神社&南洲墓地の写真、ありがとうございます。
南洲墓地については、江藤淳の「南洲残影」の冒頭に、非常に印象深く描かれていて、在校中に訪れていなかったので、是非行かなければと思っていました。
10数年前に行って、江藤淳の描いた情景の通りであることを確認しました。
「それは、私がそれまで見たことのあるどんな墓地とも違っていた。西郷隆盛の墓が中央にあって、他のどの墓よりも大きく、堂々たる威厳を示しながらこの場所の空間を圧している。その左右には、桐野利秋、篠原国幹の墓があり、さらに村田新八、別府晋介等々の薩軍の諸将の墓が居流れている。
振り返れば、場所は錦江湾を一望の下に見下ろす景勝の地で、湾内には桜島が聳え立ち、晩秋の晴れた空にかすかな噴煙を棚引かせている。そして、その空は、湾口を超えてどこまでも広く、南の海原に連なっている。
墓ではなく、西郷隆盛その人が、現にその場にすっくと立っているような、薩軍の将士が一斉に甦って隊伍をつくり、西郷のまわりをひしひしと固めているような幻覚が、一瞬私を捉え、しばらくのあいだ私は、吾を忘れて茫然と立ちすくすほかなかった。」
「薩摩の士魂の最良のものは、西郷とともに、西郷に殉じて滅びた。」と江藤淳は書いています。
江藤淳の執筆の動機も、西郷はなぜ西南戦争をおこし、立派な士魂を持った多数のラストサムライたちと滅びるための戦を戦ったのか?というものでした。
「死所を得る」という言葉がありますが、現在の通念にもとづいて、敬愛する郷土の英雄が選んだ道を批判することは、私にはできない。
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