南洲神社の階段下に親戚がおり、朝一番に境内から桜島を眺めた朧な記憶
がある。六十数年前のことであり、今とは異なる走馬灯の光景である。
父が異郷の人であり、郷土の英雄意識は薄かった。内村鑑三が「代表的日本人」
の中に取り上げており、そこから「南洲翁遺訓」、各評伝、海音寺潮五郎、司馬遼太郎、
池波正太郎の歴史物もよく読んだが、今ひとつ捉えられない。とにかく波瀾万丈の人である。
竜馬が海舟に伝えた西郷評は面白い。仕事先、旅先で奄美も含めかなりの足跡を訪ねている。
確か、この神社の宮司の娘さんが同窓生におられた思う。今は故人になられたKOさん、風貌、
悠長大な器にセゴどんかと思うことがあった。東京でひと月の研修があり、まとめ役の寮長に
選任されたことがある。その時、奥州東北、会津、長岡、桑名、関東方面の各県の参加者から
幕末には、じぃちゃん、ばぁちゃん達は苦労したと取り囲まれた。沖縄では島津がらみから、
西郷どんより長くは生きている今日、別れ時、終の栖、先人の辞世の言葉を見据える昨今。
そうこうしながら、一世代前の福島の詩人ー長田弘の「人生の特別な一瞬」という詩文集に、
32篇の中に、確か「南洲墓地」があったなと思い、どこかに埋もれている詩文集を探している。
南洲墓地(セゴどん終焉の地)
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